カイシャ工房代表の山田です。
僕が高校生のときの感覚が、「現在を犠牲にしている」というものでした。
「将来の役に立つから」
「高校に行っていたことは将来必ず良かったと思うから」
当時の大人にこんなことを言われ、しぶしぶ我慢して高校に通っていました。
(実際にはサボりまくってほぼ授業には参加してませんでしたが笑)
今思うことは、さっさと高校をやめればよかったという後悔です。
現役の学生で、「現在を犠牲にしている」感覚の人はたくさんいるのではないでしょうか?
そんな学生に、「高校に行かないという選択肢を普通にする」というミッションを掲げてカイシャ工房を立ち上げました。
ルソーの時代から教育の問題は変わっていない
18世紀の思想家であるルソーは、誰しも一度は教科書で見た記憶があると思います。
後のフランス革命に多大な影響を与え、現在の我々が当たり前だと思っている概念の元となった人だと言ってもよいでしょう。
そんなルソーは、有名な「社会契約論」という著書と同時に「エミール、または教育について」という教育に関する著作も残しています。
そこの第2編で、
「不確実な未来のために現在を犠牲にする残酷な教育」はよくないと批判しており、
将来のことばかり考えて、能力を早く身に着けようとしてしまうと「たえがたい束縛をうけ、徒刑囚のように、たえず苦しい勉強をさせられ」てしまうことになると説いています。
18世紀と現在の21世紀を比べることはもちろんできないですが、不確実な未来という点では非常に似通っておりルソーの指摘が刺さります。
当時のフランスでは、現在に比べて乳幼児死亡率が非常に高かった時代で、未来は非常に不確実なものでした。
現在では、変化のスピードが早すぎて未来を予測することができなくなっています。
そのような状況で、未来の投資のために勉強をすることはモチベーションに繋がりにくいのです。
何のために学ぶのか
ただ盲目的に「将来のためになるから」という理由だけで勉強をすることは果たしてよいことなのでしょうか?
よい大学に入ったからといって就職できるわけでもなく、
大企業に入れたからといって会社が将来を保証してくれるわけでもなく、
現在を犠牲にしてがんばったら幸せになる保証もないのに。
そもそも、何かを犠牲にして学ぶということが間違っていると思います。
本来の学びはしたいからするもので、学ぶこと自体が娯楽であるべきなのです。
何のために学ぶのか?そのために何を学ぶのか?というのは一人ひとり違うべきです。
そして一人では見つからない人がほとんどなので、対話によって考えを醸成していくことが重要だと思っています。
少しでも気になった人は、一度対話しながら何のために学ぶのかを考えてみませんか?
Not for school,but for life(われわれは学校のためではなく、人生のために学ぶ)
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