カイシャ工房代表の山田です!
最近文化人類学について学ぶことにはまっています。
文化人類学は民族・社会間の文化や社会構造の比較研究するもので、社会人類学や民俗学といったりもします。
人類学のおもしろさとして、日本で暮らしている感覚とは全く違う価値観や生き方をインストールすることで、今の自分の生き辛さや疑問を別の視点で見れることだと思います。
一言でいうと、最強のメタ認知!
最近読んだ「働くことの人類学」松村圭一郎+コクヨ野外学習センター編から、興味深かった話について書いていこうと思います。
ひとつのことをするやつら
津田塾大学の丸山淳子さんは、アフリカ・カラハリ砂漠でフィールドワークをしながら、狩猟採集民の生活を研究しておられます。
1970年代の後半から、現地政府では狩猟採集ではなく定住させようという開発プロジェクトが進行しています。
定住させて、学校に行かせ、病院にも行けるようにして、お金を稼ぐような生活を推奨しているわけです。
しかし、プロジェクトが開始して半世紀たつというのに、まだ狩猟採集をしている人たちがいます。
基本的に賃金労働では、ひとつの仕事をずっとこなすことになります。
ひとつの仕事に特化しない働き方は、狩猟採集民の人は非常に嫌らしく、開発計画を進める役人のことを陰で悪口みたいな感じで「ひとつのことをしろ」と呼んでいるそうです笑
日本でキャリア形成について考えるとき、どうしても「専門性を高めるのが大事だ」みたいなことが言われます。
それとは対極にある考えでとても興味深いですね。
不確実性が増す世界において
現在の日本では、ひとつのことをやり続けることを非常に美化する傾向が強いと感じています。
「石の上にも三年」ということわざは非常にポジティブな文面で使われますよね。
それ自体は素晴らしいことですが、そうでない人がダメなわけでは決してないと思います。
たとえば、転職について「3年は勤めないと評価されない」みたいなことを言われていますが、なぜ3年も必要なのでしょう?
部活動も3年やり続けることが称賛され、途中でやめた人は負け組みたいな雰囲気がありませんか?
もちろん継続的な努力をすることで得られるものは非常に大きいです。
10000時間の法則なんてものがあったりもします。
ただ、仕事において10年20年同じ仕事をし続けることは今後できないと思います。
技術の進歩スピードが早く、2~3年で今もっている知識が使えなくなることが今でもよくあります。
そんな社会において、専門性を高めることにのみに着目したり、それを美徳とする考えは少し危険な気がします。
学校の部活やクラスを、複数所属できるような仕組みができたらおもしろいのになぁ。。
読んでいて価値観を色々と見直せた興味深い本でした。
興味がある人はぜひ手に取ってみてください!