文字は時間と場所を超越できる
カイシャ工房代表の山田です。
とあるマンガにでてくる言葉で、僕の心にぶっ刺さったので今回はそのことについて書いていきたいと思います。
僕たち日本人は当たり前のように文字が読めます。
これがどれだけすごいことなのか、そして重要で責任のあることなのかを改めて思い返しました。
「なぜ学ぶのか?」を考えることがカイシャ工房の理念ですが、
そのひとつの答えがここにあると思います。
文字が読めるとはどういうことか
「文字を読む時だけはかつていた偉人達が私に向かって口を開いてくれる。その一瞬この時代(セカイ)から抜け出せる。」
チ。―地球の運動について― (4) (BIG SPIRITS COMICS)
これからは、「どうやって生きるか」を考えるのではなく、「何のために生きるのか」を考えていかなければならない時代に突入していると僕は思っています。
昔は村や近所の風習に縛られていたり、家名やご先祖を大事にすることの優先順位が高かったので、「何のために生きるのか」なんて考えなくてもよい時代がつい最近まで続いていました。
僕たちの親の世代も、良い大学に入り、良い会社に入ることが幸せの近道だということ疑う人は少なかったはずです。
実際にそれで幸せになれる可能性が高かったですからね。
ただ、今そのことについて疑問符がついていると思います。
(詳しくはこちらのブログを読んでください)
そんな時代に、自分の周囲やネットの言葉だけを情報源として生きているととても生き辛いことになります。
見てる世界がめちゃくちゃ狭いですからね。
そこで、このマンガのセリフが息づいていきます。
今生きているこの時代だけが正しくないことを知れる、これがまさに学ぶ意味だと思います。
文字を読めるようになる責任
「大半の人間が言葉を読み書きできないのはいいことなんだよ。文字というのは特殊な技能、言葉を残すのは重い行為だ。扱うには一定の資質と最低限の教養が要求されるべき。誰もが簡単に文字を使えたらゴミのような情報で溢れ返ってしまう。」
チ。―地球の運動について― (4) (BIG SPIRITS COMICS)
国が教育を担うようになり、義務教育が普及したおかげで僕たちは文字を読むことができます。
これが当たり前すぎて、文字を扱うことの責任について考える機会がなくなってしまいました。
今ではSNSを通じて誰もが情報の発信者になることができます。
この重要性と責任を正しく認識していないと、引用の言葉のように「ゴミのような情報で溢れ返ってしま」います。
フェイクニュースの問題が良い例ですよね。
文字を扱う責任として、最低限の教養を身に着ける。
これも学ぶ意味の大きなところで、学生だけでなく生涯続けていかなければいけないと強く思いました。
さいごに
このマンガは昔の人がどんな考えだったのか、何を大切にして生きていたのか、など
とても学びが深いマンガです。
ぜひ一度読んでみてください。
そして、学ぶ意味について考えてもらえると嬉しいです。
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