「みんな違ってみんないい」とよく言われますが、では学校はその違いをどう扱えばいいのでしょうか。今回は「平等・公平・公正」という似た3つの言葉を手がかりに、個性と教育の関係を一緒に考えていきます。
平等・公平・公正、この3つの違いとは?
教育で個性を語るとき、避けて通れないのが「違いをどう扱うか」という問題です。まずは混同されがちな3つの言葉を、有名な「野球場を柵越しに覗く絵」で整理してみましょう。
平等(イクオリティ)=みんなに同じサポート
平等とは、誰もが「同じサポート」から恩恵を受けることを前提にした考え方です。野球場の絵でいうと、全員が同じ高さの踏み台に乗る状態です。
- 与えるものが一緒なので、条件としてはフェアに見えます
- しかし背の低い人は台が1つでは見えず、背の高い人だけが野球を覗ける
- 能力・環境・状況の差によって、結果に差が出てしまう
今の日本のテストは、まさにこの「平等」に近い状態です。用意スタートで始まり、時間になったら全員終了。鉛筆と消しゴムだけ、という同じ条件で測るやり方ですね。
公平(エクイティ)=必要な人に必要なサポート
公平とは、誰もが「必要なサポート」を受けられる状態を指します。野球場の絵では、背の高い大人には踏み台をつけず、背の低い子には2つ用意して、全員が同じように見える状態に整えます。
- 人によってサポートの量を変え、結果が同じになるように調整する
- 子どもと大人の例なら納得しやすいものの…
- 同じ条件の人同士だと「あの人ばかりサポートをもらってずるい」と感じる可能性もある
これに関連するのが、アメリカのアファーマティブアクション(積極的差別是正措置)です。教育を受ける機会が少なかった人に、入試の点数をあらかじめ加算するといった仕組みですが、「本当に公平な状態を誰が判断するのか」をめぐって、今も大きな議論が続いています。
公正(ジャスティス)=そもそもの原因を解決する
公正とは、不公平を生み出している「そもそもの原因」を解決しようという考え方です。野球場の例なら「柵そのものを取り払えば、踏み台がなくても全員見えるよね」という発想になります。
ただ、これは根本すぎる話になるため、今回はいったんスコープ外に。ここからは「平等」と「公平」に絞って、個性との関係を考えていきます。
テストを「公平」にすると、個性は尊重される?
個性を重視するなら、平等よりも公平の方が向いているように見えます。ここでは具体的なテストの例で、その光と影を考えてみましょう。
公平なテストのイメージ
もし今のテストを「公平」に変えると、こんな形が考えられます。
- 読むのが遅い人には時間を延長する
- 話すのが得意な人には、書くテストではなく話すテストに変える
- ただし、合格基準(求めるレベル)は全員同じにする
たしかに、こちらの方が「個性を大事にしている」ようには見えます。書くのが苦手でも話すのが得意な人が、話して高く評価されるなら、それは個性の尊重と言えそうです。
広がる「平等ではない入試」
実は入試の世界も、少しずつ公平の方向へ動いています。その代表が総合型選抜(面接や小論文などで合否が決まる大学入試)です。
- 合格基準が明確でなく、単純な比較が難しい
- いわゆる学力だけでは測れない
- それでも合格者数は年々増えている
ある大学関係者が「いずれ入試は全部総合型選抜になるのでは」と発言し、物議をかもしたこともあります。個性を尊重する流れとしては、たしかに理にかなっているのかもしれません。
「公平」だけを突き詰めると、教育は何をすればいい?
公平は「評価する・測る」うえではとても優れています。しかし、それをゴールにした瞬間、「では何を教育すればいいのか」が見えなくなってしまうのです。ここが今回いちばんのモヤモヤどころでした。
苦手が得意に変わるチャンスを奪ってしまう
公平を徹底し、得意なやり方だけを選べるようにすると、こんなリスクが生まれます。
- 苦手なことを避け、得意な方向にだけ進んでしまう
- 「後からできるようになる」可能性の芽をつんでしまう
- 書く力・話す力など、本来伸ばすべきものを見落とす
実際、「昔は英語を書くのが苦手だったけれど、海外研修で話してみたら得意だと気づいた」という経験談もあります。最初から選択肢を外してしまうと、こうした「後からの気づき」がなくなってしまうのです。
「今の得意」は「ずっとの得意」とは限らない
もう一つ怖いのが、「小学生までは算数が得意だったのに、中学・高校の数学でつまずいた」というパターンです。
- 今の得意・好みだけで進路や科目を固定してしまう危険性
- 成長の段階によって、得意・不得意は変わっていく
- その場その場の「個性」で片づけると、可能性を狭めてしまう
だからこそ、「一見ムダに思えること」に取り組む時間が大切になります。今は何のためかわからなくても、後々効いてくる学びは確かにあるのです。
結論:基準は固定、やり方は複数あっていい
ここまで考えてきて、一つの落としどころが見えてきました。それは「基準は固定しつつ、そこに至るやり方は複数あっていい」という発想です。
- 合格の基準(ゴール)はそろえる=公平性を担保する
- そこへたどる道のりは、得意なやり方を選べるようにする
- ただし、スタートラインの差や能力差にどこまで配慮するかは残る課題
個性を伸ばすには、その違いに配慮することにも、あえて苦手にも取り組ませることにも、それぞれメリットがあります。「わからない」という結論にはなりましたが、この問いを一緒に考え続けることこそ、個性と教育を語るうえで大切なのかもしれません。
あなたなら、テストや入試はどうあるべきだと思いますか。ぜひあなたの意見も聞かせてください。
もっと詳しく知りたい方へ
ポッドキャストでさらに詳しく聴けます。
🎙️ ポッドキャストで聴く →