「もっと主体的に動いてほしい」——学校でも職場でも、家庭でもよく耳にする言葉です。ですが、この「主体性」という言葉、実は時代によって意味が大きく変わってきていることをご存じでしょうか。今回は「学びとキャリアの交差点」主体性編・第4回の内容をもとに、その変化を一緒に見ていきます。
企業と学生の間にある「主体性ギャップ」
まず面白い統計から始めましょう。企業と学生、それぞれにアンケートを取ると、「主体性」に対する認識に大きなズレがあることが分かってきています。
- 企業側:就活生に「一番足りていない」と感じるのが主体性。その割合はとても高い
- 学生側:自分たちのことを「主体性が不足している」とはあまり感じていない
つまり、企業は「学生に主体性が足りない」と思っているのに、学生は「自分たちはちゃんと主体的に動いている」と思っている。この不思議なギャップが生まれているのです。では、そもそも両者が思い浮かべる「主体性」とは同じものなのでしょうか。
1990年代と2010年代で「主体性」はこう変わった
ある社会学者が、1990年代と2010年代の「主体性」という言葉の使われ方を比較して調べました。すると、同じ言葉でも指し示す中身がかなり違っていたのです。
1990年代の主体性=「行動すること」
1990年代の主体性は、とにかく「行動すること」と強く結びついていました。
- 自分でガンガン行動する
- リスクを取る「強い個人」
- 自己責任で何とかする
- 特別な創造力や独創性を持つ人
背景には、バブル崩壊後の経済不安がありました。「日本経済を再生する」「豊かで魅力ある日本を築く」といった大きくて曖昧な目標のもと、状況を打開してくれるカリスマのような優秀な個人が求められていたのです。今の感覚で聞くと「そんな人、めったにいないのでは?」と感じるかもしれませんね。
2010年代の主体性=「考える力」と「協調性」
ところが2010年代になると、主体性は次のようなキーワードと結びつくようになります。
- 思考力(自分で考える力)
- 協調性(人と一緒に何かをする力)
- コミュニケーション能力
特に「協調性」との結びつきが大きく増えました。1990年代には主体性と協調性はほとんど関連していなかったのに、2010年代には「答えのない課題について自分で考え、他者と協力しながら答えを出す」という意味合いが強くなったのです。
これはグローバル化や技術の進化スピードが上がり、「上司ですら答えを知らない」場面が仕事現場で当たり前になったことも背景にあります。聞いても分からないなら、自分で考えるしかない——そんな時代の変化が言葉に表れているのです。
だから親子・上司部下ですれ違う
この変化を知ると、日常のすれ違いの理由が見えてきます。親世代と子世代、上司と部下の間で起きている「主体性のズレ」は、実は世代ごとの言葉の意味の違いから生まれているのです。
「先生に聞きに行きなさい」VS「自分で考えなさい」
親世代が教育されてきた「主体性」と、今の子どもが求められる「主体性」は違います。
- 親:「分からないことがあったら先生に聞いてきなさい」
- 今の学校:「まずは自分で考えてみよう。友達と一緒に考えてもいいよ」
子どもからすれば「聞きに行けと言われたのに、聞いたら考えろと返された」と混乱してしまいます。
職場でも起きる「どっちなの?」問題
ビジネスの現場でも同じことが起こります。
- 「分からなかったらすぐ聞け。時間の無駄だから」という上司
- 「自分で考えて、答えを出してから持ってこい」という上司
マネージャーによって求めるものが違うため、部下はパニックに。「結局どっちなの?」という戸惑いは、多くの人が経験しているのではないでしょうか。
曖昧な言葉に頼りすぎる危うさ
ここから見えてくるのは、「主体性」という言葉自体が時代によって意味が変わるほど揺れ動く、曖昧で不確かなものだということです。それなのに、私たちはこの言葉をとてもポジティブに、まるで確かなもののように使っています。
「あの人は主体的で素晴らしい」——こうした表現はよく耳にしますが、人によって解釈も違えば、時代によって中身も変わる。それを共通の物差しのように使うのは、実はかなり危険なのかもしれません。
教える側・育てる側が意識したいこと
「主体性」という言葉を使うな、という話ではありません。ただ、誰かを育てるときには、曖昧な言葉に頼りきらない工夫が大切です。
- 「もっと主体的に動いて」ではなく、具体的に何を伸ばしてほしいのかを伝える
- 「あなたのこういうところが良い」と具体的に評価する
- 自分の思う主体性と、相手が思う主体性が同じかどうかを確認する
「主体的に動いて」とだけ言われても、それが「すぐ聞け」なのか「自分で考えろ」なのか分かりません。もっと違う表現の仕方があるはずです。
それでも「主体性」という言葉は必要?
一方で、曖昧だからといって完全に手放してしまうのも問題です。学校現場には、この言葉ならではの役割もあります。
もし「主体性」という評価軸がなければ、先生はそれを測ろうとも、育もうともしなくなってしまいます。「こういうところに着目して評価しましょうね」という共通の観点があるからこそ、育てる方向が見えてくる。そこにジレンマ(板挟みの状態)があるのです。
解決のヒントになりそうなのが「合意形成」の考え方です。
- 生徒「僕はこう主体的に動いているつもりです」
- 先生「その動き方は、少し違うかもしれないね」
こうして対話しながら評価をすり合わせる取り組みを始めた学校もあります。ただし、クラス全員と合意形成をするのは非常に大変で、「それだけで一学期使ってしまう」ほどの労力がかかるのも現実です。将来的にはAIとの対話を活用して、一人ひとりが考えを深める方法もあり得るかもしれません。
まとめ:言葉の意味を疑う視点を持とう
「主体性」という言葉は、30年で意味が大きく変わりました。1990年代の「一人で行動する強い個人」から、2010年代の「考えて、他者と協力する人」へ。この変化を知っておくだけで、親子や上司部下のすれ違いの理由が見えやすくなります。
便利な言葉ほど、その中身を一度立ち止まって考えてみる。そんな視点が、これからを生きる私たちには必要なのかもしれませんね。次回は「企業の採用の視点から、どんな主体性が求められるようになったのか」を深掘りしていきます。
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