「あなたの個性を大切に」「個性を伸ばそう」——学校でも社会でもよく耳にする言葉です。でも、その「個性」とは一体何なのでしょうか。全7回にわたる個性シリーズの最終回として、これまでの議論を振り返りながら「個性とは何か」という問いに改めて向き合います。
個性シリーズを振り返って
このシリーズでは、さまざまな角度から「個性」というテーマを掘り下げてきました。まずはその歩みを整理してみましょう。
これまで扱ってきたテーマ
一言で「個性」と言っても、その語り方は驚くほど多様でした。私たちは次のような論点を通して考えてきました。
- そもそも個性とは何か、という根本的な問い
- 個性がどのように「言葉」で名づけ(ラベリング)されていくのか
- テストなどの評価で、個性をどう測り、どう結びつけるのか
- 個性をめぐる歴史的な文脈
- 平等と公平(一律に同じか、状況に応じて調整するか)が個性にどう関わるのか
こうした複数の視点を経て、改めて「個性とは何か」というスタート地点に戻ってきました。
個性を「武器」にすることの難しさ
シリーズの最初に登場したのは、ピンク色の髪をしたインフルエンサーの話でした。学校現場に置き換えて考えると、個性をめぐる大切な線引きが見えてきます。
大切にする、でもすべては受け入れられない
学び方や評価のされ方を、一人ひとりの個性に合わせて変えていく——これ自体は前向きな発想です。それによって伸びる力の上限が変わる子もいるかもしれません。
しかし、個性を武器にしたあらゆる主張をすべて受け入れてよいのか、という問いは残ります。歴史的に見ても、自由を重視しすぎた教育(ドルトン・プランなど)が理想通りにいかなかった例があります。個性を尊重する姿勢と、わがままの容認は紙一重なのです。
- 個性は大切にしてあげたい
- でも、主張のすべてを無条件に認めるわけにはいかない
- この二つのバランスをどう取るかが現場の悩み
平均であること VS 個性的であること
今の日本社会をよく見てみると、実は正反対の力が同時に働いています。この矛盾こそ、多くの人が個性に悩む理由なのかもしれません。
「みんなと同じ」が安心される社会
奇抜なピンク色の髪にすれば「ちょっと変だよね」と見られる。多くの人がユニクロで服を買い、平均的であることに安心する。そんな空気が確かに存在します。
その一方で、教育の現場では「あなたらしさを」「個性を発揮しよう」と求められます。平均を求める力と、個性を求める力。この真逆のベクトルが両方とも動いているのが現代なのです。
「悪目立ち」という評価
個性は、見る人の立場によって評価が変わります。ピュアに見れば「かわいい」「その人らしい」となる一方、否定的に捉えれば「悪目立ち」になってしまう。
- 大阪では目立つ振る舞いも「個性」として受け入れられやすい
- しかし同じ振る舞いが、別の環境では「悪目立ち」になる
- つまり個性の評価は、環境や捉え方によって大きく変わる
個性を純粋に良いものとだけ捉えることは、実はとても難しいのです。
「個性はない」という前提で考える
いろいろ勉強した結果、少し挑発的にも聞こえる結論にたどり着きました。それは「個性なんてない、という前提で話した方がいいのではないか」という考え方です。
人は関係性の中でつくられる
ある心理学者は「人は文化・社会体制・言語の内側から人間になる」と表現しています。つまり個性も、その人の内側から自然に湧き出るというより、周囲の文化や社会、関係性によって形づくられている面が大きいのです。
学校、友達、家庭——三者面談の話でも触れたように、人は場所によって違う顔を持ちます。ということは、個性はたった一つに固定されるものではなく、関係性によって複数存在するとも言えます。
個性を尊重することと、教育は別の話
ここで大事な区別があります。
- 個性を尊重するのは、人権に関わる大切なこと
- 個性を伸ばす教育は、それとはまた別の話
「個性を伸ばす教育とは何か」を、実はみんなあまり具体的に語っていません。教えるべき内容がまずあって、そのための手段として個性が出てくる。しかし「個性を伸ばすための教育」となると、途端にピンとこなくなるのです。
個性を測ることの限界
性格診断が好きな方も多いでしょう。しかし「個性を測る」という行為には、思っている以上に大きな限界があります。
性格テストはどこまで当たるのか
たとえばMBTI(16タイプの性格診断)のような性格テストは、調べてみると数学的な信頼性は16%程度とも言われています。これは自己申告に基づく数字です。
たとえるなら、「自動車が故障した原因の16%はこれです」と言われても、どこを修理すればいいのか分からないのと同じこと。個性を正確に測ることは、それほど難しいのです。
測ることさえ難しいものを「伸ばす」対象として教育に組み込むのが本当に良いのか——ここには大きな疑問符がつきます。
個性は「文脈」に依存している
勉強すればするほど見えてきたのは、個性は教育だけで完結する話ではない、ということでした。
教育だけの問題ではない
その人がどんな人と、どんな関係性を築いているか。充実した関係が持てていなければ、そもそも個性を伸ばすどころではありません。これは教育というより、社会そのものを構成する話に近づいていきます。
もちろん、教育が何もしなくてよいという意味ではありません。ただ、個性というテーマは想像以上に文脈(周囲の環境や関係性)に依存しているのです。
昔の人に個性がなかったのか?
「今の学校教育のせいで個性が伸びていない」という声もよく聞きます。でも、一斉授業が主流だった時代を生きたおじいちゃん・おばあちゃん世代を思い浮かべてみてください。
- 画一的な教育を受けたはずなのに、驚くほど個性的な人がたくさんいる
- 歴史上の人物を見ても、強烈な個性の持ち主は数えきれない
「学校教育のせいで個性が伸びない」という評価は、少し見直す必要があるのかもしれません。
次回予告:主体性とは何か
個性を深く掘り下げてきたからこそ、次のテーマがより立体的に見えてきます。それが「主体性」です。
学校教育において「主体性」は今、最重要キーワードの一つになっています。しかし「主体性とは個性のことでは?」と考え始めると、また議論はぐるぐると巡ります。次回は、主体性がどのように研究されているのかを入り口に、この大きなテーマへ踏み込んでいきます。
個性というたった一つの言葉にも、社会学・歴史学・心理学・脳科学など、実に多様なアプローチがありました。学ぶほどに面白いこのテーマを、ぜひ一緒に考えていきましょう。
もっと詳しく知りたい方へ
ポッドキャストでさらに詳しく聴けます。
🎙️ ポッドキャストで聴く →