「テストの点数が高ければ高いほどいい」——そんな考え方に、私たちは知らず知らずのうちに縛られていないでしょうか。今回は「学びとキャリアの交差点 個性編」第3回として、テストや評価、ランク付けと個性の関係を考えていきます。テストは必要なものですが、使い方を間違えると、個性や自尊心を傷つけてしまうこともあるのです。
テストには3つの「目的」がある
そもそもテストと一口に言っても、その目的はさまざまです。この違いを意識せずに混ぜてしまうことが、多くの問題の出発点になっています。
混ぜてはいけない3種類のテスト
テストの目的は主に次の3つに分けられます。それぞれ、評価の意味がまったく異なります。
- 選ぶためのテスト:入試・受験・採用など。合格ラインを超える点数が求められます
- 成長を見るためのテスト:研修や授業中の小テストなど。理解度(どれだけわかったか)を確認します
- 配慮を決めるためのテスト:学力別にクラスを振り分けるなど、その後の対応を決めるものです
この3つを混ぜてしまうと、どうなるでしょうか。答えは「みんなが点取りゲームになる」ということです。本来は目的が違うのに、すべてが「点数を取ったやつが偉い」という一つのものさしに押し込められてしまうのです。
「80点」の意味は人によって違う
たとえば成長を見るテストの場合、同じ「80点」でも意味はまったく異なります。
- 50点だった子が90点を取る
- もともと80点の子が90点を取る
結果の数字は近くても、成長という観点で見れば中身は別物です。逆に、80点のまま変わらなかった子については「先生の教え方に問題があったのでは」という視点も必要になります。すべての要因が子どもにあるわけではないのです。
日本の「点数至上主義」はどこから来たのか
子どもたちにとって、テストはどんな場面でも「嫌なもの」。そして日本では「点数が高ければ高いほどいい」という空気がとても強くあります。この背景を掘り下げると、「平均」という概念にたどりつきます。
考えた過程よりも「正解したか」を重視する日本
欧米、とくにフランスなどでは「どれくらい考えたか」が重視され、結果的に正解したかどうかはそれほど評価に響かないと言われます。たくさん考えたなら、点数が低くてもいいじゃないか、という発想です。
一方で日本は逆の傾向があります。理解できていなくても、点数が高ければそれでいい。採点基準に「思考の過程」が入りにくいのです。
「平均」という科学的虚構
この点数至上主義の根っこには、「平均」という概念への強すぎる信頼があります。ある学者は平均を「科学的虚構(科学のように見えるが、実は作られたフィクション)」と表現しています。
平均点より上なら優秀、下なら優秀でない——偏差値もこの平均を基準に計算されています。しかし、そもそも「平均」がなければ、優秀か優秀でないかという判断すら成り立ちません。私たちが当たり前に使っている評価のものさしは、歴史的に「作られた」概念なのです。
平均をめぐる2人の人物
「平均」という考え方がどう生まれ、どう変化してきたのか。ここを知ると、いま私たちが縛られているものの正体が見えてきます。
ケトレー:「平均=理想」という発想
18世紀末の人物ケトレーは、「平均こそが理想」だと考えました。平均に近ければ近いほど素晴らしい、という発想です。
初期の学校教育は、まさにこの考え方に基づいていました。優秀な子もそうでない子も、みんな一律に同じことを学び、平均に寄せていく。どこか軍隊的な、「みんな同じであること」を良しとするイメージです。
そして、この「平均=理想」という感覚は、実は今の日本の教育にも根強く残っています。平均と違う行動をする人を「奇抜だ」と感じてしまう傾向は、まさにこの名残と言えるでしょう。
ゴルトン:平均からの「逸脱」をランク付けする
その後に登場したゴルトンは、平均から外れている度合いによって人に優劣をつける、という発想を生み出しました。これが偏差値的な考え方につながっていきます。
しかし、平均で「上ブレしたら優秀」という見方は、集団を見るときには成り立っても、個人を見るときにはまったく当てはまらないことが多いのです。平均で何かを測り、ランク付けできるというのは、実はかなり「気のせい」に近いものかもしれません。
個性は、平均では測れない
ここで最初の問いに戻ります。テストの点数と平均で、はたして個性は測れるのでしょうか。
「個性を伸ばす」なら、伸びたかどうかを測る必要がある
国語で小説は得意でも論説文は苦手、計算問題は苦手でも応用問題は得意——こうした「バラつき」こそが個性です。しかし一律のテストでは、こうした違いをうまくすくい取れません。
学校現場では「個性を尊重しましょう」「個性を伸ばしましょう」と言われます。ですが、もし本当に個性を伸ばすことを目標にするなら、「伸びたかどうか」を測る必要があります。平均が取れない以上、ビフォーアフター(前と後の変化)をどう測るのかが大きな課題になるのです。
テスト前に「採点基準」を決めるという発想
ここで一つの提案があります。それは、テストの前に「今回はどう採点するか」を生徒と先生で話し合って決める、というやり方です。
- 「計算問題が苦手だから、そこを頑張るので評価してほしい」
- 「文章の構造を捉えるのが苦手だったから、そこを重点的に見てほしい」
- 「解くスピードが遅いので、全部解けたら評価してほしい」
採点のものさしを一人ひとりバラバラにする。これを続けて定点観測(同じ視点で継続的に見ること)していけば、その人の個性が少しずつ見えてくるのではないでしょうか。
AIが「個別採点」を可能にする?
現実には、一人ひとり違う採点をするのは大変です。しかし、AIを使えば、それぞれに個別の採点基準を作って採点することも可能になるかもしれません。
いま「個別最適な学び」といえば、教え方を一人ひとりに合わせることを指します。しかし、これからは「評価の個別最適化」——つまり、テストの採点そのものを一人ひとりに合わせるという視点も重要になっていくのではないでしょうか。
それでも残る「受験」という現実
もっとも、こうした個別化された評価には限界もあります。それが「受験」という壁です。
受験は、何百・何千人もの人を一つのものさしで並べて選抜する仕組みです。AIが一人ひとり別々の採点基準を作ってしまうと、この「選ぶためのテスト」とは相性が悪くなります。だからこそ、役割を分けて考える必要があります。
- 学校の通知表・日常の評価:個性を伸ばすため、個別化された評価が向いている
- 受験・選抜:多くの人を公平に比較するため、一律のものさしが必要
今の一律のカラーテスト(あらかじめ配点が決められた市販のテスト)では、「その子が何を頑張ったか」「時間があればできたかどうか」といった大切な情報を取りこぼしてしまいます。早く解ける子が優秀とは限りません。じっくり時間をかければ驚くほどの力を発揮する子もいるはずです。個性を伸ばすうえで、こうした取りこぼしは決してプラスにはなりません。
まとめ:テストとの付き合い方を問い直す
テストは必要なものです。しかし、目的を混同したり、平均という一つのものさしにすべてを委ねたりすると、個性も自尊心も傷つけてしまいます。
- テストには「選ぶ」「成長を見る」「配慮を決める」など目的があり、混ぜてはいけない
- 「平均=理想」「平均からの逸脱でランク付け」という発想は、歴史的に作られたもの
- 個性は平均では測れない。評価そのものを個別最適化する視点が求められている
あなた自身は、これまでどんなテストを受けてきたでしょうか。点数の裏にあった「頑張り」や「個性」は、きちんと見てもらえていたでしょうか。ぜひ、身近な問題として振り返ってみてください。
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