学校で何度も耳にする「主体性」という言葉。でも、その意味や評価の仕方を本当に理解している人はどれくらいいるでしょうか。今回は「主体性」をテーマに、その曖昧さと教育現場での葛藤を一緒に考えていきます。
学校で重視される「主体性」とは何か
今の教育現場では「主体性」がとても重要視されています。しかし、その中身は意外と曖昧なままです。まずは学校がどのように主体性を捉えているのかを整理してみましょう。
学びを支える3つの資質・能力
現在の学習指導要領(学校で教える内容の国の基準)では、子どもたちに伸ばしてほしい力として、次の3つが挙げられています。
- 知識・技能:計算の速さや漢字の読み書きなど
- 思考力・判断力・表現力:物事を考え、正しさを判断し、表現する力
- 主体的に学習に向かう態度:いわゆる「主体性」にあたる部分
通知表にもこの3つの観点が反映されており、子どもたちも「自分は主体的に学べているかな?」と意識するようになっています。
「どう評価するか」で現場は悩んでいる
問題は、この主体性を「どう測るか」です。本来は、授業中の考え方やノートへの書き込み、探求学習(自分で課題を見つけて調べる学習)での取り組み方などから見取ることが理想とされていました。
しかし実際の現場では、次のような形になりがちだといいます。
- 授業中に何回発言したか
- 宿題を毎日欠かさず出したか
ここに大きなズレが生まれます。家で一生懸命勉強していても宿題を忘れた子より、答えを写して毎日提出する子の方が高評価になってしまう。手を挙げず深く考えている子より、教科書をそのまま読むだけの子が「主体的」と評価されてしまう。こうした矛盾が、実際に起きているのです。
そもそも「主体性」という言葉が曖昧すぎる
評価が難しいのは、言葉そのものが曖昧だからかもしれません。ここでは「主体性」という言葉が、いかにふわっとしたイメージで使われているかを見ていきます。
ポジティブだけど中身が見えない言葉
「主体的に動いていますね」と言われれば、多くの人はほめられたと感じます。辞書的には、主体性とは「自分の意思・判断による行動、または行動をしようとする態度」と定義されています。
しかし日常では、この言葉が次のような似た言葉とごちゃまぜに使われがちです。
- 自分らしく生きる
- 自立性・自己決定・自己責任
- 自分探し
「自分で何かしている」というイメージだけが先行し、実際に何を指しているのかがはっきりしないまま使われているのです。
場面によって変わる「主体性」
もう一つ見落とされがちなのが、主体性は状況によって変わるという点です。
- 算数には主体的に取り組むけれど、国語には気が乗らない
- 家では知的好奇心を発揮するのに、学校ではおとなしい
こうした「文脈依存性(場面によって変わる性質)」があるにもかかわらず、「あの子は主体性がある/ない」と一括りにジャッジしてしまう。これは前回の個性編でも触れた「社会が個性を規定してしまう」という問題とよく似ています。
探求学習と「主体性のワナ」
「自分で課題を見つける探求学習こそ主体的だ」と考えられがちですが、そこにも落とし穴があります。答えのある行動をなぞるだけでは、本当の意味で主体的とは言えないかもしれません。
「正解の型」に沿うことは主体的なのか
探求学習では、たとえば「ゴミ問題を調べる」といった課題に取り組みます。このとき「積極的にインタビューやアンケートをする姿=主体的」と評価基準がつくられることがあります。
しかし、主体的に学ぶ方法はそれだけではありません。
- ネットで調べる
- 新聞を読む
- そもそも「本当にゴミ問題はあるのか?」と問いの起点で悩む
「インタビューをする」という一つの型だけを評価すると、それ以外の学びが抜け落ちてしまいます。決められた型に沿って動くことは、実は「思考停止」に近いのではないか、という指摘もあるのです。
「型」を学んでこそオリジナリティが生まれる
一方で、型を学ぶこと自体は決して悪いことではありません。ここで紹介されたのが、あるオーディション番組で語られた印象的な言葉です。
「型にハマらないと、オリジナリティは出てこない」
まず学び方や戦い方という「武器」を身につける。その上で、自分がどの武器をどう使うかを選んでいく。そこで初めて主体性が発揮されるという考え方です。
つまり、土台となる学習を奪ったまま「さあ主体的に学んでいいよ」と丸投げするのは違う、ということ。学び方を学ぶプロセスと、自分で選ぶプロセスの両方が必要なのです。
教育は「主体性」を評価しない方がいい?
ここまで見てくると、一つの問いが浮かび上がります。学校教育は本当に「主体性そのもの」を評価するべきなのでしょうか。
結論として、番組では次のような視点が示されました。
- 学校教育の役割は、主体性が発揮できる土台をつくることにある
- その土台がないうちに「主体性」を求めると、評価が矛盾しバグってしまう
- 曖昧な言葉のまま子どもに求めることが、混乱の一因になっている
「主体性を持ちなさい」という言葉は、一見正しく聞こえます。しかしその中身を問い直すことなく使い続けると、かえって子どもたちを型にはめてしまう危険があるのです。
これは私たち自身の問題でもある
「主体的に動いてほしい」という言葉は、学校だけでなく職場や家庭でもよく使われます。あなたの周りでも、曖昧なまま「主体性」を求められた経験はないでしょうか。言葉の中身を一つずつ解きほぐすことは、教育の話にとどまらず、私たちの働き方や生き方を見つめ直すきっかけにもなりそうです。
次回は「主体性とやる気・モチベーションの違い」について掘り下げていきます。ぜひ続けてお聴きください。
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