はじめに:教育改革の裏にある「政治」を読み解く
私たちが受けてきた教育、そして子どもたちが今受けている教育は、実は「政治の流れ」と深く結びついています。今回は「新自由主義(しんじゆうしゅぎ)」というキーワードを中心に、教育改革がどう進んできたのかを一緒に見ていきましょう。
新自由主義とは何か?ざっくりイメージをつかもう
難しそうな言葉ですが、実は身近なニュースにたくさん登場しています。まずは大まかなイメージをつかむことから始めましょう。
キーワードは「競争」「民営化」「小さな政府」
新自由主義とは、専門家によって解釈がさまざまで「これが正解」と言い切れない考え方です。ただ、一般的なイメージとしては次のような特徴があります。
- 市場競争の重視:みんなで手をつなぐのではなく「競い合って良いものを作ろう」という発想
- 規制緩和と民営化:政府がやるのではなく、民間企業に任せた方が良いという考え方
- 小さな政府:政府はできるだけお金を出さず、口を出さない方が良いという立場
郵政民営化や水道の民営化、地下鉄の民営化などが分かりやすい例です。ひとことで言えば「とりあえず自分で頑張れ」という発想とも言えます。
「新」自由主義の「新」の意味
興味深いのは「新」という文字です。国が何もしないわけではなく、むしろ国が市場をつくったり管理したりする側面も強いのです。「民営化はするけれど、ここは国がしっかり力を入れる」というように、競争・評価・自己責任の仕組みは国が主導してつくっていきます。
まとめると、新自由主義とは「市場原理(競争の仕組み)を社会の隅々まで浸透させ、国家権力もそれに合わせて組み替える発想」なのです。これが教育制度に大きな影響を与えてきました。
新自由主義と教育の3つのフェーズ
日本の教育改革は、新自由主義の流れに沿って大きく3つの時期に分けられます。自分や家族がどの時期にあたるのか、照らし合わせながら読んでみてください。
第1フェーズ(戦後〜1990年代半ば):土壌づくりの時代
この時期は「市場原理主義フェーズ」とも呼ばれ、競争や民営化の土台をつくる段階でした。
- 中曽根政権などで「小さな政府」「規制緩和」というキーワードが登場
- 教育や福祉といった公共部門にも「競争原理が大事では?」という声が出始める
- ただし世論全体が賛成していたわけではなく、「言われ始めた」段階
当時はまだ、学校現場から「教育の機会均等が崩れる」という強い抵抗がありました。また、学校と塾・予備校は明確に住み分けがされており、お互いに口を出さない「相互不可侵」の関係だったのも特徴です。
第2フェーズ(1990年代後半〜2010年代後半):負の面が顕在化
競争原理の土台の上に、さまざまな制度が乗っかってきた約20年間です。今の保護者世代が学生だった時期と重なるかもしれません。
この時期には「競争で頑張れ」と言われた結果、負の側面が目立ってきました。
- 貧困や不安定な雇用の増加
- ロスジェネ(就職氷河期世代)に代表される格差の拡大
教育面でも大きな転換点が続きました。
- 2006年 教育基本法の改正:教育の大元となる法律に、やや保守的な文言が加わった
- 2007年 全国学力テストの導入:運営は民間企業が担当。学校教育に民間が入り、能力を一括で測る能力主義的な発想が強まった
- 高大接続改革:大学入試で英検などの外部試験を使う案や、記述式採点を民間企業に委託する案が議論された
この時期に話題となったのが、文部科学大臣による「身の丈(みのたけ)発言」です。「自分の環境に合ったもので受けてください」という趣旨でしたが、これは教育の平等という観点からすると大きな問題を含む、能力主義的な発言として大きく批判されました。
第3フェーズ(2010年代末〜現在):学校と教育産業の融合
2018年頃、「Society5.0(ソサエティ5.0)」という国家戦略が登場しました。サイバー空間と現実空間を融合した近未来社会を目指すものです。
教育分野では次々と新しい施策が進みました。
- ギガスクール構想(一人一台端末の整備)
- 教育DX(デジタル化)やエドテックの推進
- AIドリルなどの導入
かつて「相互不可侵」だった学校教育と教育産業の関係が、「連携」「共同」へと変わったのがこの時期です。放課後に塾が校内で授業をする「学校内予備校」や、ICT端末の整備を学習塾系の企業が担う自治体も増えています。
なぜ「自己責任」が当たり前になったのか
ここまでの流れを整理すると、教育と新自由主義のつながりが見えてきます。これは私たち一人ひとりの生き方にも関わる大切なポイントです。
「先行き不透明な時代」という前提
教育改革の議論は、いつも「変化が激しく先行き不透明な社会」を前提に語られます。ただし面白いことに、100年前の企業パンフレットにも「先行き不透明な時代が来る」と書かれていたそうです。つまり、変化が激しくない時代などなく、これはずっと言われ続けていることなのです。
個人に求められる「自己責任」
先行き不透明という前提に立つと、個人に求められるものはこうなります。
- 自己責任:成功したのは頑張ったから、うまくいかないのは頑張らなかったから
- 自己管理:自分のことは自分で管理すべき
- 自己啓発:学び直しやリスキリングも「自分でやれ」ということ
第1フェーズでは、教員や組合がこうした流れに強く抵抗していました。しかし景気が悪化するなかで「勝ち組・負け組」という考えが広がり、「勝ち残るには自分で頑張るしかない」という意識が社会に浸透していったのです。
「平等」が置き換えられていく
本来、教育は「すべての人が等しく受ける権利」として憲法に定められています。しかし、それが「実質的平等」や「一人ひとりに合わせた教育」という言葉に置き換えられていきました。聞こえは良いのですが、突き詰めると「やる人はやる、やらない人はやらなくてもいい」という自己責任論につながりかねません。
つまり新自由主義とは、市場原理(競争)と、国家主導で「何に力を入れるか」を決める仕組み、そして自己責任という考え方を組み合わせたものだと言えます。今の教育が抱える問題点を抽象的に捉えると、まさにここに行き着くのです。
まとめ:政治に振り回される学校現場
教育改革は、その時々の政治の流れと密接に結びついています。新自由主義の広がりとともに、学校教育には教育産業がどんどん入り込み、近年その変化はますます加速しています。
この変化には良い面も悪い面もあります。大切なのは「自己責任」という言葉を鵜呑みにせず、その背景にある政治や社会の仕組みに目を向けることではないでしょうか。教育の問題は、決して他人事ではなく、私たち一人ひとりの身近な問題なのです。
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