「あなたは能力がありますか?」と聞かれたら、何と答えますか。実は私たちが当たり前に使う「能力」という言葉は、思った以上に曖昧なものなのです。今回は認知科学(心のはたらきを科学する学問)の視点から、能力の正体に迫ります。
「能力がある」とはどういうことか
普段、私たちは「コミュニケーション能力」「論理的思考力」といった言葉を何気なく使っています。でも、その能力が「ある」とはそもそもどういう状態を指すのでしょうか。
能力は「人との比較」で決まっている?
たとえば「早食いができる」という能力。これは自分一人で完結するものではなく、「友達より早く食べ終わる」というように、誰かと比べたときに初めて意識されるものです。
- 友達と比べてご飯を早く食べ終わる → 「早食いの能力がある」
- 2人前を食べる人と比べて食べられない → 「大食いの能力はない」
つまり、能力の「ある・なし」は、多くの場合、人と比べた相対的な判断にすぎないのです。
場面が変われば「能力」も変わる
大食いの能力も、メニューによっては「これなら一人前いける」ということがあります。体調が悪ければ食べられず、回復すればまた食べられる。すると「その人が持っている能力」と言い切るのは、実はとても難しいのです。よく考えると、能力とは何なのか、わからなくなってきませんか。
能力は「アブダクション」から生まれた仮説
認知科学の研究者によると、能力とは「アブダクション(仮説推論)から生まれた仮説」だといいます。聞き慣れない言葉ですが、私たちの身近な思考のしくみそのものなのです。
アブダクションとは何か
アブダクションとは、観察された出来事から「こうだったのではないか」と推測する考え方です。
- 「ある事柄Aがあれば、出来事Bが起こる」とする
- 実際に出来事Bが観察された
- → だとすれば、事柄Aがあったのではないか、と考える
たとえば「ゴミ箱にリンゴの食べかすがある」→「ここでリンゴを食べた人がいたのだろう」と推測するような流れです。これを能力に置き換えると、こうなります。
- 計算テストの点数が低かった(観察された出来事)
- → 計算能力がないのではないか(仮説)
「逆」は必ずしも正しくない
ここで大切なのは、この推論の「逆」が必ず成り立つわけではない、ということです。テストの点数が低い理由は、計算能力の低さとは限りません。
- 体調が悪かった
- 数字の読み方を知らなかった
- 周囲がざわざわして集中できなかった
- 緊張して頭が真っ白になった
つまり能力とは、何かの出来事を説明するための「仮説」でしかないのです。そんな曖昧なものを「鍛える」「育てる」とは、どういうことなのでしょうか。
「○○力」という言葉が生む3つの錯覚
とはいえ「能力ってやっぱりあるでしょ」という感覚はなかなか抜けません。それは「力」という言葉が持つ、ある種のメタファー(比喩)のせいかもしれません。研究者によれば、「力」という言葉は3つの意味を密かに付け加えてしまうのです。
① その人の「内側」に備わっている感覚
「握力がある」と言うと、本当はさまざまな筋肉が生み出す力なのに、まるでその人の内部にパワーが宿っているように感じられます。思考力・判断力・表現力といった学力の3要素も、「その人の内側にある潜在的なパワー」のように受け取られてしまうのです。
② 強弱があり「測れる」感覚
「力」には大きい・小さいという程度の差があるように思えます。だから「測れる」、ひいては「テストできる」という発想が自然に生まれます。しかし握力ひとつとっても、ペットボトルを握りつぶす場面と測定器を握る場面では条件が違います。本当に同じ「握力」として扱ってよいのか、疑問が残ります。
③ いつでもどこでも一定だという感覚
「あの人は想像力がある」と言うと、いつでも同じように発揮されるイメージになります。しかし実際は、環境によって発揮されたりされなかったりするものです。歯を食いしばると力が出やすく、口を開けていると2割ほど下がるという研究もあるほどで、力は決して一定ではありません。
「思考力」を直接研究する人はいない
能力という言葉のあいまいさを示す、象徴的な事実があります。それは研究の世界での「思考力」の扱われ方です。
本によれば、現代において「思考力そのもの」を研究している研究者は存在しないとされています。なぜなら、思考力が指す範囲があまりにも広すぎて、そのままでは研究対象にならないからです。もっと細かく分解した要素を研究することはできても、「思考力とは何か」を直接調べることは難しいのです。
このことからも、能力がいかにふわっとした概念であるかが見えてきます。
身近な問いとして考えてみる
私たちは「コミュニケーション能力がないと就職で苦労する」「小学生のうちから論理的思考力を」といった言葉を当たり前に受け取っています。でも、その能力が何なのかがはっきりしないまま教育しようとするのは、本当に大丈夫なのでしょうか。
- 能力とは、出来事を説明するための「仮説」にすぎない
- 「○○力」という言葉が、内在性・測定可能性・安定性という錯覚を生む
- 場面や条件によって、発揮されるものは大きく変わる
まずは「能力ってそもそも何だろう?」という疑問を持つこと。それが、能力や能力主義を考える出発点になります。なお「計算問題はマルバツがつくから測れるはず」という反論もあるでしょう。その点については、次回さまざまな実験・研究を紹介しながら考えていきます。
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